犬と女の子
※イメージ画像(ぱくたそ)です。

個人的な日記です。個人的なケジメ として書いています。

先週末の夜に、飼っていた犬が死んでしまいました。

週末の朝は普通に過ごしていたような気がするのですが、夜のエサをあげる時に、少し足を引きずりながら来て食べた後、家の中でいつの間にか行方不明。

家中を家族で捜索したら、K太の学習机の奥に隠れていました。

その時点で『これは嫌な予感がする!』と思ったのですが、案の定、後ろ足が不自由な感じで立てなくなって、横になったままの状態になってしまいました。

結局、次の日を迎えることはなく、夜中に帰らぬこととなりました。

(過去記事)
2009.06.15 我が家に「まろさん」がやってきた(犬)

振り返ればまだ6年弱、人間の年齢に例えると40才なので、まだまだ若すぎる別れです。

最後となった週末の夜は、元気もないし立てないし、震えもあるし、覚悟を決めなければならない時だったので、家族で集まって見守りました。

『おそらく明日はないかも…』と思った自分は、犬の前足をとり、肉球や頭をなでなでしながら、『ありがとう。(もう休んでいいよ)』と言ったら、犬は察したのか、横たわって動けない身体ではありましたが、犬の目からは涙がありました。

思えば、今日まで短い期間ながらもエサをあげたり、水・トイレシートを交換したり、ブログを書く邪魔をしたり、犬の相手をしてあげたり…毎日それなりの時間を過ごしてきました。

そんな犬が週末に死んで、日曜日に市役所に連絡(ペットの回収)をお願いしたりと、慌ただしい休日となりました。
今日、ケージをはじめすべてが片付いて、スッキリした部屋を眺めてみると、つい数日前まで犬がいたことが不思議なくらいです。

犬がいなくなったことで、家族に小さな…確実な変化も感じます。

言葉ではうまく書けないのですが、悲しいことを共有したことで、人に優しくなれてきたような雰囲気です。
いままで優しくなかったわけではありませんが…。

今でも『こんなに早く死んでしまうのなら、もっと遊んだりしてあげればよかった』、『あんなに欲しがってたエサ以外の(人間の)食べ物を少しぐらいあげてもよかった』、『寒い冬の夜くらい、一緒の布団に入れてあげればよかった』など後悔の気持ちばかりあります。

後悔があるからこそ、人に優しくなれるのかもしれないし、家族各自に後悔がある(多分)からこそ、昨日までにはない優しさや思いやりの気持ちを感じられます。

いま思うと、最後の言葉の『ありがとう』で犬が見せてれた反応ですべてが救われた気もします。

普段は、膝の上に犬がいながらキーボードを叩いてブログ記事を書くのが当たり前だっただけに、いまこの瞬間は寂しさもあります。

動物病院で勤務していた友人の奥さん曰く

『人間のエゴによって、延命をされる犬も多いけれど、苦しい日々もまた延びるんだから、(終わり方としては)確実に幸せだったよ』

『普通、犬が食べちゃいけない食べ物を食べた場合は、たくさん嘔吐して体外に吐き出すけれど、そういうのがないのなら・・・仕方のないことだよ』

久しぶりの友人夫婦との再会もまた、犬が結びつけてくれたのかもしれません。

解剖すれば、死んだ理由がわかるのかもしれませんが、そんなことをしてまで理由を知りたい気持ちもありませんし結果もまた変わりません。

残酷なくらい、いつかは忘れてしまう日が来ます。
だからと言って、完全に忘れているわけではなく、思い出そうとすれば鮮明に思い出す。

その忘れる日に向かって、少しずつ日常の中で悲しさや寂しさは和らいでいくことでしょう。

2015年のバレンタインは、甘くほろ苦い気持ちの詰まった記念日になりました。

個人的なケジメと書いたとおり、次回から通常ブログに戻ります!

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