費用だろうが資産だろうと利益が同じならばそれらは小さい額のほうが市場は評価されます
米国型のROE至上主義ってところですね?
負債を増加させるか資本を減少させれば財務レバレッジが効いてROEが高くなります
その結果、経営は不安定になるのも目に見えてきますが・・・最近、会社経営そのものが米国型(グローバル型)になっている現状に疑問に思うときが多いです
「日本らしさ」って何だろうかなぁ~ってね?
リストラをしてヒト(費用)を減らすとか最近ではりそな銀行が本社を売って賃貸にしたりと・・・。
たとえ米国では本社を費用化するのが流行りであろうとも
日本まで本社という資産を売却して賃借の形にするなんて米国型の会社経営はそこまで来たのかと感慨深くなります
今後りそな銀行のケースは増えていくでしょう。土地再評価差額金がある一等地ならこっちの方が経済的で効率的かも知れません。その後、土地の安い場所で本社を構える戦略jもアリでしょうし
※りそなホールディングスは中央区から江東区へ移転予定
「無駄なものは省く」聞こえは素晴らしいけれど
ありとあらゆる無駄を無駄とされる現在に「それも無駄なのか?」と問いたい時もあります
車の運転には「遊び」と呼ばれる領域があります
ステアリング・シフト・アクセル・ブレーキ・クラッチと運転手の操作する先には必ず遊びがあります
操作をしても僅かですが反応をしない「隙間」の存在
なぜか?なぜなら遊びがないと車の挙動が良すぎて運転手にストレスがかかるからです
会社経営も株価も遊びや無駄を省いた結果、居心地の悪い社風や神経質な相場になってきたのではないでしょうか?
経営陣が今期に出たより良い利益を来期以降もより良い商品や労働環境の改善にと設備投資に回したいと求める
株主はより良い利益が出たなら増配や自社株買いをして株主リターンを求める
「会社は株主のもの」そんな米国型の常識に疑問を持てればGMの凋落の説明がつくし日本の向かうべき未来も少しは見えてくるのではないか?
自分は誰?それは鏡を覗き込めば左右相反した自分が映り出す
それでは会社は?最終利益は株主のものと言う主張なら聞き入れられるけれど会社すべてが株主のものだ!って主張は自分には理解できません
そして会社を左右相反すれば社会です
米国の背中を見ながら後追いしてきた日本経済、これからは「日本らしさ」との融合を願うばかりです
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