
最近、車を買い替えました。
PALCOMの海外投資塾さんでも敗者と勝者のゲームさんでも、コメント欄でチョコチョコっと書いてあるけれどトヨタのウィッシュです。
指先ひとつでミラーの角度も窓や鍵の開け閉めも何でも出来てしまうし、音も静かで車高も必要なだけ確保されているから下回りも擦らない・・・あれ?
前まではハチロクって呼ばれるマンガに出てきそうな車に乗っていました。
ブログタイトルは車遊びの名残りです。
思えばハチロクを振り返ると、夏はエアコンが効かないし、窓はくるくる回さないと開かないし、ハンドルは重いし、チャイルドシートは助手席しか着かないし・・・
効率とは縁の遠い存在でした。
ただ更に振り返ると、仲間達と缶スプレーで全塗装したり、窓全開&アクセル全開(もちろんサーキットです)でドリフトしていたら車内にスズメバチが入ってきて怖い思いをしたりと、非効率だけに数え切れないほどの楽しい思い出ばかりがハチロクにはあります。
新しい車のウィッシュには車自体から思い出になるような事ってあるのかな?
昭和の車と違ってあまり壊れないだろうし車が空気みたいな存在となって、これからの車は乗ることが夢ではないし趣味とか楽しむ対象ではなくなっていくと思う。
世の中は快適で便利で効率化していく流れにあるけれど、それらを手にする人間には効率を求める反面、その反面は非効率を求めているような気がする。
それは何故なのか自分なりに考えた結果…
思い出に残るのはいつだって非効率の頃の出来事だからだ!
胸を揺さぶる熱い感情は、空気のような効率の世界からは誕生されないような気がします。
この効率を『都市』非効率を『自然』と変換してもいい。
この効率を『大人』非効率を『子ども』と変換しても通用するかも知れません。
何事もない効率的な1日を日記に書くとき、今日は何があったのかを思い出すのに苦労しませんか?
これは子どもが夏休みの日記を書くのに苦労するのとはまったく違う現象です。
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