狼の血筋じゃないから
今日も羊の声で吠える
「馬鹿みたい」と笑う君に気付かぬ振りしながら
少し憎みながら
深く愛しながら
羊、吠える Mr.Children
前回の記事チェンジ・ザ・ワールドの続きです
最近の流れは閉鎖的だった国内の株式市場がバブル崩壊で外国人投資家が買いやすい水準と企業同士の持ち株を売却が進んだことで一気に株主の構成がひっくり返りました
その結果、アジアモデルと呼ばれる大企業型資本主義から米国型と呼ばれる市場原理型資本主義に急激にシフトされる・・・これには現在も馴染めずにひずみが生じているところもあるのではないでしょうか?
個人的な考えだと大企業型資本主義は内弁慶な感じがします。ローカルルールな部分があるのでグローバル化された経営には向かないしそもそも外国からは理解されない!
企業にとても社員の終身雇用を約束してきた時代はどうしてもB/Sに厚みが出てしまうのでROEを重視する外国人投資家には『無駄』と投資を避けられてきた投資地域だった気がします極東は・・・。
最近はグローバル化が否応なしに進んできたので経営者もROE重視の発言を聞く機会があるけれど・・・どうなんでしょう?
日本の低ROEが世界水準に近づくためには無駄な部分の福利厚生カットや産業の変化が必要です
ハードウェア産業はコストが掛かるのでソフトウェアの産業ばかりを採用して
モノ作りは人件費の安い場所で生産して利益率の低い事業は本体から切り離す・・・。
本体はシステムだけを必要とし必要最小限の人数で会社を動かす。機械化され人が余ればリストラと・・・。
これって何か大切なモノまで切り離してしまう気がします。
これは米国の得意としてきた最近の流れです。
それを日本は真似してきました。自分の持つ得意分野が何であったのかを見失ったまま・・・?
ザックリと考えてサービスの充実があるからこそ実現できるのだから市場原理型資本主義は大企業型資本主義よりも進んだ資本主義のカタチだと思います
だけれども市場原理型資本主義が完璧な答えかどうかはまた別な話で今回の不況もこう言う流れに行き過ぎたところから出た暴落と市場原理の崩壊だと思います。
以前に世界規模で暴落が起こったときも行き過ぎた市場原理があったようです
1929年は教科書にも登場する世界恐慌
1930年代の不況真っ只中に登場したのがケインズの『一般理論』(1936年)。古典派の経済政策が世界恐慌時にまったく対応できない経済学だったことに対する批判的な内容です
世界恐慌も遠い話の頃になるとケインズの一般理論は通用できない部分が出てきて古典派の経済学が主流になってきたけれど最近はまた一般理論の不況理論(?)が必要になってきた時代になりました
それよりも気になったのがケインズは活気に沸いていた1926年に『自由放任の終焉』を発表していたこと・・・これは不安定な市場経済制度について書かれていたみたいです(まだ未読)
ケインズの政策の象徴的なところは市場に任せずに政府が積極的に介入するところでしょうか?かなりザックリ言うと・・・。
古典派は失業者がゼロの場合だけに通用する『特殊』な理論でケインズはそこを批判する意味で『一般』理論と名付けたんでしょうねぇ?
いろんな制度をいろんな角度から見て気付いたことは完璧な答えはないってこと
そして知ったことはこの世に絶対という言葉は絶対に無いんだなぁ・・・と
結局はバランス感覚が大事なのかも知れないし自分に合うとか合わないとか感覚な部分も制度を選択するのに重要な感じがします。たとえそれが世界の流れであろうと自分のアタマで考えないと都合の悪いことを押し付けられる場合もあったりします
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