そして節約と言うと世間では美徳とされて浪費家の国民は見習えというような風潮な感じなわけです
国民中が浪費家だったらそれはもう・・・大変なわけですが美徳とされている倹約家だけで国民が形成されたらその国はいったいどうなってしまうのか?
麻生内閣が目玉にしている2兆円規模の家計支援策。我が家に例えて言うならば1.2万+1.2万+2万+2万=6.4万円になる予定です(まだ決定には程遠そうですが)
これをどう使おうが国民の勝手なわけですが投資家に限ってこんな時に「どの投信を買おうかな?」とか「どの株を買おうかな?」って行動になりそうです
A社の株を買うってことはA社の商品やサービスを買うわけではないのだから売り上げにも当期利益にも残りません。ただの評価額の蓄積です。
今現在もっとも重要なことはモノの売買などによって停滞した経済をグルグル回すことですからもらったカネは残さず浪費してあげたほうが自民党も浮ばれるでしょう?
清貧の思想は個人(ミクロ)には美しい響きですが経済(マクロ)では歓迎されないのです
ぜいたく品を買うすべての人々は貧しい人々の生活を支えているが、守銭奴は彼らを貧苦のうちに死なせている。
ラフマス
「娯楽、豪華な催し物、凱旋門など」は、それに関わる費用が酒屋、パン屋、洋服屋、靴屋の収入となるから、やるべきである。
ペティー
浪費は、個人にとっては損害をもたらす悪徳であるが、経済活動にとってはそうではない。
貪欲は、個人にとっても経済活動にとっても悪徳である。
バーボン
皆が支出を増やせば、全員の所得が拡大してもっと豊かに暮らせるであろう。
ケアリ
貯蓄は個人と社会を富ませ、消費は両者を貧しくするという主張は、紙幣愛こそ経済的幸福のみなもとという考えから出ている。しかし、このような主張は支持しがたい。過度の貯蓄は社会を貧乏にし、労働者から仕事を奪い、社会全体に不況をもたらす。
ホブソンとママリー
過度の貯蓄は消費を抑えて生産意欲を損ない、富の蓄積を止めてしまう。そのため、一国にとっては有害である。
マルサス
各家庭にとって思慮深い行動(貯蓄)はほとんどいつでも国家全体にとっても思慮深い行動である
アダム・スミス
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