相場格言ではよくこういう言葉が昔っから存在します。

もうはまだなり、まだはもうなりということあり。この心はたとえば、もう底にて上がるべきと進み候ときは、まだなりという心をいま一応ひかえみるべし。
まだ底ならず下がるべきと思うとき、もうの心を考うべし。
必ず、まだの心あるときより上がるものなり。

八木虎之巻

もうはまだなり、まだはもうなりということあり。ただし、数日もはや時分と思い取りかかり(仕掛ける)たるに、見計い悪しければ間違いになるなり。
まだまだと見合わせ居るうちに遅るることあり。

宗久翁秘録

これらは相場師のことわざですがこの『もう』と『まだ』をそれぞれ分解してみると

『もう』には完了や過去の意味があります。

『まだ』には未だ・・・とか未来の意味があります。

だからこのことわざを深く考えてみると現在とは過去と未来を繋ぐ位置なんて単純な時間軸の話ではなくもっと哲学的な感じがします
格言だから哲学的で当たり前ですがうーん

過去は未来なり、未来は過去なり

自分たちが存在するのは『現在』しか許されません。過去に行くことも不可能ですし未来を知ることも無理です。
それでも過去を知るものは似たような未来を知ることが出来るかも知れないし未来を知りたければ似たような過去から学ぶしか方法はないのでしょう
現在とはそれを探求する瞬間なのかなぁ・・・。

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